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コンピューターの普及とプランクトン研究室(PLO通信54号、2004年3月)
山口 篤
私が本研究室の門をたたいたのは、4年生の卒業研究で講座配属になった時(1993年)で、ちょうど10年前ということになる。この機会にこの10年間で一番大きく変わった研究室の事情というものについて考えてみたい。
この10年間で一番大きく変わった研究室の事情は、これはどの分野でも同じことであろうが、コンピューターの普及が一番に挙げられる。10年前、我々の同期が研究室配属になった時にプランクトン教室にあった(学生の使える)パソコンは共用の2台のみで、個人で持っている者もワープロがせいぜいであった。それが今はどうであろう、大学院生は言うに及ばず、4年生までが各人1台のパソコンを持っている。パソコンの普及は研究室の雰囲気も変えた。朝、教室にやって来て自分のパソコンを開き、日がな一日その画面とにらめっこしている学生には、「そんなことをしていて楽しいかい?」と問いかけたくなるほど、孤独な雰囲気がある(ような気がする)。
これだけコンピューターが普及したことにより、プランクトン学でもモデルを使った数値計算、群集構造の解析、長期変動の解析などの分野は、この10年で大きな進歩を遂げている。また、1995年代以降この傾向は顕著になってきたのだが、一論文の分量が増大しつつある。これは膨大なデータベースを活用して得られる研究成果で、10年前では難しかったことである。こういう論文が多くなるにつれて、学生も「顕微鏡を見るよりパソコンと向き合う」ことが多くなる。まさに必要な情報は「パソコンの中にある」のである。かくして、「顕微鏡を見る時間」は失われていく。
10年が経って言えることなのだが、プランクトンを研究する学生において、「顕微鏡を見る時間とその学生の論文の質は正比例する」というのは真実である。パソコンをいくら一生懸命見ていても、そこから得られる情報は「今までに調べられた内容」でしかない。もちろん、過去の知見をIntegrateして、一段階上の新たな知見を見いだすという学問のやり方もあるが、学生の時にそれは難しかろうと思う。その学生が見いだすべき事柄はただ一つ、顕微鏡の下にこそあるのである。そこには今まで誰の目にも触れられなかったサンプルや現象があり、それを見ることによって新たな発見とそれに伴う研究の発展があるのである。
コンピューターの普及、それ自体は良いことなのかもしれない。ただ、文明の発展には光の当たる部分のみに注目していると、影の部分が肥大していることに気づかないことが多い。「パソコンの画面と向き合う時間」と「顕微鏡を見る時間」はその光と影の関係にあり、一方が増えれば一方は自動的に減ることは自明の理である。ことプランクトン研究室にとっては、パソコンと向き合うことのみで仕事が完結する研究分野ではないので、充分な留意が必要な事柄のような気がしている。
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Copyright 2003 Plankton Laboratory
北海道大学大学院 水産科学研究科 多様性生物学講座(プランクトン教室)
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